2009年08月02日

英語は「頭」ではなく「口」で覚えるもの ~後半

◆◆「目からウロコの英語勉強法」◆◆

今回は、前々回「英語は頭ではなく口で覚えるもの ~前半」の続きです。
御用とお急ぎのない方は
前々回のブログにも、ちょっと目を通してください。


・・・さて、本題です

「記憶する」とは、たしかに大脳の生理作用に帰するものだと言っていいでしょう。

しかし、「頭が覚える記憶」があるように
「口が覚える記憶」というものが厳然として存在するのです。
しかも驚くべきことに
それは「頭」で覚える記憶より、はるかに正確で無尽蔵なのです。

決して、奇をてらって話を大げさにしているのではありません。
その事実を示す証拠は、皆さんの身の回りにいくつもあるのです。

たとえば、どんなに頭の悪い日本人でも、日本語をペラペラにしゃべることが出来ます。

「何言ってんだ?日本人だモン当たり前ジャン。
日本人が日本語をしゃべったくらいで驚いてどーすんのよ。」

・・・確かにそうかもしれません。
皆さんにとっては、それは当たり前すぎるくらいカンタンな事なのかもしれません。

しかし、ではそんなカンタンなことを
果たしてコンピューターは出来るのでしょうか?

これだけコンピューター技術が発達し
コンピューターにとって、不可能なことは無いとさえ思える現代です。
僅かなシリコンのかけらに、何万冊分もの情報を記憶できる技術と
電光石火のような、その情報処理能力をもってすれば
人間の言葉をしゃべることなど、いとも簡単に実現しそうなものではないでしょうか。

ところが、どんなに大容量のコンピューターをもってしても
日本語を流ちょうに話すことなどは、今のところ不可能なのです。

お気づきでしょうか?
その、神業ともいえる偉業を、人間の「口」はいとも簡単に可能にしてしまうのです。
「口が覚える記憶」とは、恐ろしいものです。
スーパーコンピューターをはるかに超える容量を持っているのですから・・・

ところで、この潜在能力は、特別な人々にだけ与えられているのでしょうか。
だとするならば、特別な人々だけが言葉をうまくしゃべる、なんてことになってしまいますが
そんな話は聞いたことがありません。
つまりこの能力は、「頭」のよし悪しに関係なく、だれにも備わっている最終兵器なのです。
およそ語学の学習を志す者にとって
それをわざわざ放棄することほど、おろかな選択肢はありません。

にもかかわらず、なぜ大半の人々は
その最終兵器を放棄し、ただひたすら「頭」で覚えようとするのでしょうか。

ここに、一般的な英語学習法の錯誤があるのです。
言葉は「頭」で覚えるものではなく、「口」で覚えるべきものなのです。

考えてもみてください。
皆さんの中に、日本語を「頭」で覚えたという人間がどのくらいいるでしょうか。
小学校の1年生が、日本語の文法を勉強し、国語辞典で単語の意味を確かめた
などという姿はみたことがありません。

日本に限らず、世界中どこの国でも
学校で母国語を教える最初の段階は
教科書の音読から始まることになっているのです。
まるで、「口」が覚えてしまえば、必要なものはすべてついてくることを
経験則として、知りつくしているかのように・・・

言葉を「頭」で覚えることには、本来限界があるのです。
日本語であろうと英語であろうと、その原理に変わりはありません。
それを無理やり「頭」で覚えようとするから
行き詰ることになってしまうのではないでしょうか。

分かりやすい例を挙げましょう。

近所に、あるドイツ人の親子がいます。
お父さんは有能な技師で、かなり優秀な頭脳の持ち主です。
しかし、日本に来て10年以上たつというのに、日本語はあまりしゃべれません。

一方、8歳になる娘はかなりな口達者で
相当おませな日本語まで口にするようになり
最近では、お父さんのために通訳を務めたりもしているとか・・・

この現象は、それほど珍しいことではありません。
日本に在住する外国人の親子でも、海外に移民した日本人の親子でも
同じような風景が見られるのです。

では、なぜそんなに頭のいいお父さんが日本語をしゃべれるようにならないのか。
それは、「頭」で覚えようとするからではないでしょうか。
「頭」がいいのだから当然なのかもしれませんが
それが却って仇(アダ)になってしまったのです。

「ドイツ人の話をしたってしょうがないでしょうが。
ここはドイツじゃないんだから・・・」

なるほど、ごもっとも。

しかし、これは皆さんの周囲に見受けられる現象でもあるのです。
皆さんは、言葉を「頭」で覚えようとしていないでしょうか。
だとするならば、ドイツ人の技師と同じ運命を歩むことになってしまうのです。

「頭で覚えちゃいけないって?
じゃあ何で覚えるのよ?
いくら最終兵器があったって、頭がなけりゃ、結局何にも覚えられないでしょ?」

確かにそのとおり。
最終的に覚えるのは、脳細胞の働きによるものです。
でも、どんなに高等な脳細胞を持っていても
それが十分に機能しなければ、単なる宝の持ち腐れに過ぎません。

脳細胞とは、コンピューターのハードウェアのようなもので
それ自体が何かの機能(思考や記憶など)を持っているわけではありません。
脳を有効に働かせ、それを知能と呼ばれるものに昇華させるためには
一つ一つの脳細胞を連絡させ、膨大なネットワークを築くことが必要なのです
そして、そのネットワークを築くために
人間は様々な「ツール」を駆使してきたのです。

たとえば、「地球上で最も知能が発達した生物は?」と、問われると
ほとんどの方は、迷わず「人間=ホモサピエンスである」、と答えるのではないでしょうか。

ところが、「では、人間は地球上で最も脳の体積が大きい生物か?」と、問われると
残念ながら、それは事実ではないのです。
体積で言うならば、イルカやクジラのほうが人間より大きな脳を持っているのです。

しかし、人間は「手」という「ツール」を駆使して大脳を刺激し
膨大なシナプス(脳間細胞)のネットワークを築きあげることによって
イルカやクジラよりも、高度な知能を獲得したのです。

「やれやれ、ドイツ人の次はイルカの話かい?」

・・・まあまあ、そう言わずに
重要なことですから、もう少しお付き合いください。

では、人間の言語体系が発達する過程で
大きな役割を果たした「ツール」とは、一体何だったのでしょうか?

もちろん、「話す」「書く」「読む」などいくつかの要素が複合的に作用した、と考えられます。
しかし、中でも「声に出すこと」、つまり「音声としての言語」を発することが
それらの根底を支えていた、と言えるのではないでしょうか。

英語であれ日本語であれ、人類の言語の歴史を振り返ってみれば
「文字」が発明されるよりはるか昔に「音声」の体系としての言語が存在していました。
文字の歴史は三、四千年程度のものであるのに対し
「音声」の体系としての言語の歴史は、数万年にも上るのです。
つまり「音声としての言語」の長い下積みの上に、はじめて「文字」が発生したのです。

「だから、なんだ?」

と言われてしまえば、身もフタもないのですが
その長い下積みの歴史の中で、ある爆発的なパワーが潜在意識の奥に蓄積されてきた
という仮説が、もし正しかったとしたら・・・
そして、「声に出して」「口」で覚えることが
その秘められたパワーを解き放つ重要な手がかりになるとしたら・・・
「奇跡の大逆転」の扉を開く鍵は、あなた自身の中にあるということにならないでしょうか。

「口が覚える記憶」とは、人類の発生にも関わるほどの長い歴史を持ち
すべての人々の遺伝子の中に等しく蓄えられてきたものです。
だからこそ、「頭」の出来がよくても悪くても
人間は同じように言葉を使いこなすのではないでしょうか。
現に、「アイツは頭の出来が悪いので日本語を上手にしゃべれない」
などという人間は見たことがありません。
もっと露骨に言えば、バカなアメリカ人でも英語はペラペラなのです。

ここに、英語がほかの教科と違う最大の特異点があるのです。
ほかの教科はどうあれ
英語だけはだれでも「頭」のいいヤツに勝つことが出来るのです。
「口が覚える記憶」の力を武器とすれば、どんな秀才とも対等以上に戦えるのです。
その証拠に
東大卒のエリートよりも、ヒマつぶしにカルチャーセンターに通っているオバチャンのほうが
よっぽど饒舌に英語を話す、なんて現実はいくらでもあるのです。

にもかかわらず、なぜ学校ではこんなに成績の差が出てしまうのか。
なぜ「頭のいいヤツ」だけが、こんなにいい点数を稼ぐのか。

言うまでもありません。
「頭」で覚えようとするから、ではないでしょうか。
「頭」でおぼえれば、「頭のいいヤツ」が勝つに決まっています。
わざわざ相手の有利な土俵に上るようなものだから、当然と言えば当然です。

しかし、仮にそんな小さな土俵のうえで勝っても負けても、たいした意味はありません。
どうせ、ドングリの背比べに過ぎないのですから・・・

「奇跡の大逆転」は、そんな土俵の上には転がっていません。
本来の土俵の上で戦えば、誰でも「頭のいいヤツ」を倒すことが出来るのです。
「口」で覚えた者は、「頭」で覚えた者をはるかに凌駕するのです。

現に、英語で平均点を取った事のない者が
ちょっと勉強方法を変えただけで、数ヵ月後の定期テストで成績上位者のリストに載った
などという例もまれではありません。

「口」で覚えたヤツが「頭」で覚えたヤツに勝ったのです。

ちなみに、1番~30番の英文を「口」で覚えてくれた読者の方には、
思い当たるフシがあるのではないでしょうか。
「今までとは違う何かが動き始めた」ことに・・・。

それこそが、潜在意識の中に眠っていた本能の目覚めなのです。
そのとき、「ああ、英語の勉強って、こうすればよかったんだ」
と、目からウロコの落ちる思いをした人も、少なくないのではないでしょうか。




静岡県静岡市清水区高橋6丁目6-48 ガルバゼミ
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