2009年08月25日

M先生の話

◆◆「目からウロコの英語勉強法」◆◆

前々回もお話したように
語学学習にとって、繰り返しのトレーニングは必要不可欠です。

せっかく学習したことを、確かな記憶として定着させるためには
「昨日覚えたこと」を、今日も明日もあさっても
覚えるまで何度も繰り返し頭に叩き込まなければならないのです。

極端な言い方をすれば「昨日とまったく違う事をやってはいけない」のです。
なぜならば、それこそが語学学習の本質だからです。


ところで、ではなぜ学校ではそれをやらないのでしょうか?
多くの先生方の中には、その重要性を感じている方もいらっしゃるはずです。
にもかかわらず
学校の授業で反復・繰り返しの風景を見ることはほとんどありません。
なぜでしょうか?

おそらく、理由のひとつは
「それは本来、個別に、自主的に行われるべきものであり
授業の中で行われるべき性格のものではない」
ということではないでしょうか。

確かに一理あるように思われます。

また、仮にその必要性を認めたとしても
時間的にそこまで手が回らないという問題もあります。

高校生が学習すべき内容は、膨大な量に上るものです。
そのすべてを授業の中で消化するためには
一定のカリキュラムを、限られた期間内に終了させなければなりません。
毎日同じことの繰り返しなど、しているヒマはない
ということも、尤もな話なのかもしれません。

では、予備校や塾ではどうでしょうか?
学校の授業で不足が生じているならば
進んでその補完に勤めるべきではいのでしょうか。

しかし、予備校や塾では、それはもっと困難であると言って構いません。

私自身が小さな私塾を経営しているので、よく分かるのですが
反復・繰り返しのような「自主トレーニング」に近い指導は
生徒および父兄の方々には
その意義をなかなか認めてもらえないのが現実なのです。
いわゆる「見栄えがよくない」とでも言うのでしょうか。
下手をすると
「そんなことなら、わざわざお金を払って塾に通わなくても、自分で出来るね」
ということになってしまいます。

では本当に自主的に一人でやるしかないのでしょうか?
反復・繰り返しのトレーニングは語学学習にとって不可欠であるのに
それを学校や塾・予備校ではやってくれないのでしょうか?

そうばかりとも言えません。
世の中には、鋭い問題意識を持った先生もいるのです。
たとえばM先生もその一人です。

M先生は、静岡市のある県立高校で英語を教えていました。
そのクラスの授業では
ある一冊の単語本を、毎回クラス全員で暗唱するのが日課だったといいます。
昨日はここをやったから今日は次のページを、ではなく
昨日やったところを、今日も明日も覚えるまで何度でも暗唱するのです。

まさに、授業時間の大半を費やして
「反復・繰り返し」のトレーニングを積み重ねたのです。
よほどご自分の指導方針に自信がなければ、出来ることではありません。

学校の先生という人種は、情熱の塊みたいな方が多いことは確かです。
あれもこれも生徒に教えたい、少しでも生徒を成長させたい
という、献身的な熱意にあふれているのです。
当然、その熱意は「密度の濃い授業」という形となって現れてきます。
その点で、学校の先生に勝る存在はありません。

しかし、どんなにハイレベルな講義を行っても
それで生徒の実力が上がらなければ、何にもなりません。
生徒の実力を上げるために、ほかにやるべきことがあるならば
たとえそれが見栄えのよくないことでも
よしんば、指導要領の主旨を多少なりとも逸脱したことであったとしても
信念をもって断行すべきではないか。

まるでかく言わんかのごとく、M先生は持論の指導方針を貫かれたといいます。

それで結果はどうだったでしょうか?

M先生のクラスの校外模試での英語の平均点は
同地域のナンバーワンである、名門進学校の平均点を上回っていたということです。
「毎日同じことの繰り返し」が「ハイレベルな授業」に勝ったのです。

その後、M先生は県の教育委員会に転出されたそうです。
昔から、優れた教師とは、いるところにはいるものです。
M先生の見識と孤高の信念に、心から敬意を表したいと思います。



静岡県静岡市清水区高橋6丁目6-48 ガルバゼミ
★ ホームページ http://garba-zemi.jimdo.com/




上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
M先生の話
    コメント(0)